2020/05/26

お笑い芸人の芸人生命を賭けたターニングポイント

以前、ラジオにネタを投稿していた。
時事ネタと芸能ネタでしかポイントを稼げない人間だった。
そのため、この2つで勝負できる番組というのはほとんど限られていた。
その中の1つが、「山里亮太のヤンピースフライデースペシャル」だった。
月曜から木曜が東貴博、金曜が山里亮太という布陣で始まった午後10時からの番組だ。
ニッポン放送はその当時も今も、この時間帯で苦戦を強いられている。
若者はTOKYOFMか文化放送を聴くし、意識の高い人はTBSラジオやNHKラジオを聴く。
そのどちらにも属さない人がニッポン放送を聴くような現状。
それはさておき、自分はその番組で、よくネタを採用してもらっていた。
現在も放送されている、「山里亮太の不毛な議論」の初期にもメールを出して採用されたこともある。
ももクロがその当時も今もさほど好きではないので、それをきっかけに聴くのを辞めた。

そのような下地があることを踏まえて、改めてテラスハウスにおける問題を振り返りたい。
木村花さんが誹謗中傷を受けるようになったコスチューム事件。
その描写を細かく見ていくと、自分はリアルタイムで見てなくてよかったなと思った。
もしかすると、自分も同じことを思ったかもしれない、いや、思っていただろう。
芸能人に誹謗中傷するほど芸のないことはないので、モヤモヤしただけかもしれないが。
色々なことが起きて、その都度、テラスハウスの副音声で盛り上がりを見せる。
その中心人物が山里亮太、いわば「火をつける側」の立場だ。
一事が万事、ちょっとした駆け引きなどを見せれば、とにかく火をつけようとする。
ここが噛みつきどころだぞ!どんどん盛り上げろ!と言わんばかりに。
まさに、火事と喧嘩は江戸の華。
火事になるのを楽しみ、喧嘩を面白おかしく引き起こそうとしている印象。
この役目を担えるのは、確かに山里亮太が適任だったように思う。

物事には役割があり、それぞれの人がその役割を果たしたのだと思う。
ただ、人は刺激に慣れると、さらなる刺激を受けないとマンネリになる。
演出側がそう思ったのか、とにかく争いの種、諍いを起こそうとしたのかもしれない。
山里亮太は本当に賢いから、演出側の要望、役回りを完璧に演じていただけかもしれない。
その結果がこの悲劇だとしたら、果たして演出側、演者側双方は、どれだけ自分の非を認めようとするだろうか。

今回の一件、すべての人間が何かしらの非はあると思っている。
全責任は負わせられないが、多少の責任は負うべきであり、代償は払うべきだろう。
自殺でこの世を去るという事実に対して、それだけのことをしてもバチは当たらない。
それが番組の打ち切りであり、山里亮太であれば、多少の謹慎が必要だろう。
謹慎?オーバーすぎる!と、普通はそう思う。
でも、あなたは何も悪くありませんと不問に付したところで、それで収まるだろうか。
週刊文春、週刊新潮含め、色々な暴露ネタが今後出てくるかもしれない。
副音声の書き起こしによって、この言動はどうなの?というのも出てくるだろう。
その報道を、謹慎中で受けるか、不問の状態で受けるか、大きな違いである。
NGT48の時も書いたが、不問が一番この場合愚かな判断だ。
何かしらのペナルティさえあれば、必ず同情論は出てくる。
岡村隆史に対し、もういいじゃんと許す動きが出ている。
これは、仕事に支障が出るほど落ち込みがハンパないのも背景にある。
あんなことがあっても、天の声をいつも通り全うできる人とは違う。

誹謗中傷が諸悪の根源であることは当然理解するし、疑いの余地はない。
しかし、それを誘発した側は一切悪くないのだろうか。
自分はもうラジオは聴かないし、ネタも書かない。
でも、ネタを現役で送っていても、自分は同じことを思っただろう。
盲目的に何かを応援することが心底気持ち悪く、反吐が出る。
信者になるくらいなら、自分は何も信じたくない。
それもまた、ラジオにネタを送るという行為から足を洗った要素かもしれない。
もっとも、自分は何1つ面白くないというのもあるんだけど。

山里亮太は言葉でしくじったのだから、何かしらのペナルティは受けないといけない。
ここでペナルティを受けさえすれば、世間は渋々でも納得してくれる。
絶対に開き直ってはいけないし、絶対に責任転嫁をしてもいけない。
なんだかんだここまで生き抜いてきたのだから、時局はめちゃくちゃ読めるはずだ。
軽微な罰でもいい、なんでもいいから、罰を受けたことをアピールするしかない。
そして、徹底的に反省の態度を見せて、事あるごとに懺悔の念を示せばいい。
気丈に、普段通りに振舞っても、今度は自らに火がつけられることになる。
ここが山里亮太のターニングポイントだ。

2020/05/24

SNSが悪いのではない、人間に備わった悪意が悪い

芸能界は人が死んでもなぜ鈍感でいられるのか

2018年5月に自分が書いた記事だが、地下アイドルが自殺に追い込まれたことに関するものだ。
犠牲の上に成り立つとはよく言うが、ここ1年で契約環境は大きく変わった。
円満に独立が行われやすくなったというのは大きな一歩である。

ただ今回はそういう話をしたかったのではない。
プロレスラーだった木村花さんという人物が、自ら死を選んだようだ。
不勉強で申し訳ないが、亡くなったニュースで、この方の存在を知った。
テラスハウスに出ていたというのも、当然そこで知る。
個人的なテラスハウスの知識は、北原里英が出ていたぐらいしかない。
あと、トヨタ自動車がスポンサーをやっていたぐらいの、おぼろげなものだ。

コスチューム事件というのが、1つのポイントになっているらしい。
プロレスラーの衣装は、結構な値段がする。
イメージとしては、フィギュアスケートの衣装に強度を持たせたものだろうか。
その衣装を、一緒にルームシェアをする男性に洗濯機で洗われてしまった。
これに対し、木村花さんが激怒、叱責したというのが流れのようだ。
この怒り方、叱責の仕方に対し、木村花さんのTwitterに誹謗中傷、批判が殺到したらしい。
商売道具を勝手に洗われて使い物にならなくなった、そりゃ当人は怒る。
ならば、自分で管理すればいいじゃないかという言い分なのかもしれない。
とはいえ、腹立たしい!ぐらいで、誹謗中傷する側も止められなかったのか。

悪役で、勝気に見える、何十年も前からそんな女子プロレスラーはわんさかいた。
でも、女子プロレスラーの人で性格が悪い人というのはあんまり浮かばない。
心優しいというか、素直というか、そんな方が多いように思う。
木村花さんを、実はナイーブだったと所属団体のプロデューサーが評している。
22歳で、テラスハウスで知名度を獲得した悪役レスラーである。
キャラで強気に見せないといけない、だけど、まだ確固たる自信は築けていないだろう。
その中で、テラスハウスをきっかけに誹謗中傷に巻き込まれていく。
心のバランスを保つのは、22歳にとっては非常に難しい。

今回の件で、芸能人がこぞって誹謗中傷やSNSの在り方に苦言を呈している。
誹謗中傷をされ、SNSの在り方を悩んでる、そんな芸能人が多いだろう。
2018年、地下アイドルが自殺に追い込まれた時、少なくともここまでの広まりはなかった。
同じ自殺なのに、なぜか。
テラスハウスという看板もあるだろうが、やはり自分事に思えたからだろう。
芸能人のどこかに、下積み時代には薄給で頑張るのは当たり前という意識があるのかもしれない。
でも、誹謗中傷やSNSに関しては、本当に悩み、面倒に思っているわけだ。
だからこそ、自分事に捉え、これを機会に一掃したい思惑があるのかもしれない。
悲しい話だが、一連の件に関する芸能人の苦言に、自分は心を動かされなかった。
SNSはテロの道具であると言わんばかりに、SNSで発信を行った。
SNSは情報発信ツールに過ぎず、プロモーションツールにも使われている。
じゃあSNSをシャットアウトできるかといえば、そんなことは絶対にできない。
最初から触れず、それを通せばいいように思うが、これが難しい。
SNSが悪いのではない、人間が持つ悪意が悪い、自分はそう思っている。

Twitterのアクティブユーザーは、日本だけで月間4000万人ほどとされている。
そのうちの1%が、悪意に満ちた運用方法をしていたとしよう。
40万人が誹謗中傷を行うとすれば、結構な人数である。
ちなみに、ネットの炎上は、数えられる人数が執念深く誹謗中傷を行って発生するとされている。
では、この1%の誹謗中傷大好き野郎を、どのように根絶できると思うだろうか。
少なくとも、誹謗中傷を行った人物を特定し逮捕してもらうやり方は焼け石に水だ。
それは、新型コロナウイルスの一件で誰しもが痛感していないだろうか。
じゃあ誹謗中傷を受けた、殺害予告を受けたといっても、警察は動こうとしない。
危害が加えられないと警察は動かない、よく聞かれる話である。
それにこの手の人物で、何回痛い目を見ても病気のように誹謗中傷をしたがる。
残念ながら、芸能人は誹謗中傷に接していかなければならない。

人間に悪意がある限り、誹謗中傷なんぞなくなるわけがない。
あなたに悪意は一切ないか、何の妬みも持ち合わせていないのか。
兄弟姉妹にも両親にも、恋人にも友人にも会社の上司にも何も思わないのだろうか。
悪意はある、それを誹謗中傷に走らせないのは、日々幸せを感じる感覚だと思う。
性行為、自慰行為を満足に、楽しく行える人は、そんなに誹謗中傷には向かない。
心の自慰行為が、誹謗中傷だとしたら、その解決方法はなんとなく見えてくる。
この考えは、たけし軍団のアル北郷のポッドキャストを聞いて、膝を打ち、自分なりに解釈してみた。

木村花さんの自殺は、学校や仕事が再開し始めるタイミングに起きた。
思えば、自殺という表現を、所属団体ではしていないし、死因は不明としている。
急死である、誹謗中傷を受けていた、それに怒る人たち、普通は自殺だったんだと思う。
そこまでの配慮をしたかは知らないが、触発されないことを願うばかりだ。
自殺の数は劇的に減ったというデータが一時期話題になった。
それがどのような反動となるのか、実はそこが一番怖い部分だ。

木村花さんのユニフォームを洗ってしまった男性も、相当悔いているかもしれない。
本当なら、その事件が、出会いや相手の理解につながるターニングポイントとして取り扱われただろう。
だからこそ、テラスハウスのスタッフもそれをネタにしたわけだ。
もしかすると、木村花さんのことを、無条件に認めてくれる存在がもっと必要だったのかもしれない。
そうすれば、誹謗中傷なんか吹き飛ばせた可能性はある。
無条件に甘やかす、これが自殺を防ぐ方法なのかなと思う。
甘えるなと厳しくする行為すら、殺人的な所業に思えてくる。
間違いなく誹謗中傷をした人間が悪く、それ以外の人間は悪くない。
ただ、どうにかできたのではないかという思いも自分の中にはある。
その、どうにかできたのではないかという気持ちは、身の回りの人に、これを読むあなたも向けてあげてほしい。
自分の言動が、もしかすると目の前の人を死に追いやるかもしれない。
その恐怖感を持ち合わせて人に接することが大事だと、自分は思う。

2020/05/23

あなたにとっての優しさは、他の人からすれば屈辱だと思うかもしれない

その人にとっての優しさは、別の人にとってみれば屈辱に過ぎない。
最近、自分はそのように考えるようにしている。
「怒られるうちが華」という言葉があるが、華だと思える人もいれば、思えない人もいる。
「怒られるうちが華」と思えない人間は、人間にあらずと誰が言えるだろうか。
もしあなたがそう思っていても、あなたの上役や家族が、その考えを全否定していたならどうするか。
人によって優しさは異なるし、屈辱だと思うこともまるで違う。
公開説教されるのが屈辱に思う人もいれば、逆に感謝する人もいるだろう。
「自分にとっての優しさは、他人にとっても同じである」、その考えは、傲慢だと自分は思う。

人間というものは、自分が経験した成功体験は、誰でも経験ができると思い込みがちだ。
自分は怒られて怒られてここまで来た、だから、怒られることはありがたい、そう思う人は多い。
そんな中、怒られるのは嫌だ、褒められて育ってきたなんて人がいたとする。
甘いことを言うな!世の中をナメてるだろ!と腹が立たないだろうか。
それを認めることは、自分を否定された気分になると思っているだろう。
怒られなくても成長できる?じゃあ、私の人生って何なの?と。
だから、「怒られるうちが華」という言葉に懐疑的な意見を持つ人を敬遠する。
自分の人生に絡むことでの相反する意見は、何があっても折り合うことはない。
自分の人生を全否定する考え方を、到底受け入れられるはずがない。
人生相談で、ハレーションが起きるのは、当然だろう。

分かりやすい例は、電車でご老人に席を譲るかどうかだ。
席を譲る行為は優しさから来るケースがほとんどだが、ご老人によっては屈辱と感じることもある。
自分はまだまだ元気だ、なのに老人扱いしやがって!、そう思われたらどうしようもない。
では、席を譲らないと、それを屈辱に感じるご老人もいる。
最近の日本人は老人に席も譲れないのか、日本の行く末も暗い、情けないとそう思う人がいても否定はできない。
お互いに「優しさ」の価値観が合致すれば、ハートフルな光景になる。
ところが、「優しさ」の価値観が不一致だと、途端にギスギスした、バイオレンスな雰囲気になる。
所詮、「優しさ」なんてものは、相手があってのものに過ぎない。

あの人にとっての「優しさ」って何だろうか、あなたはそんなことを考えることがあるだろうか。
おそらく、自分にとっての「優しさ」を単に押し付けているだけではないだろうか。
それを拒否されて腹を立てるのだとすれば、単にあなたが傲慢なだけだ。
この人にとって、これが優しさなんだ!と考えに考える、それが謙虚な姿勢である。
そんなことを考えるのは面倒だ!と思ったとしても、別にそれを咎めるつもりはない。
あなたの心の中に「優しさ」も謙虚な姿勢もないだけなのだから。
そんな自分にだって、優しさも謙虚な姿勢も一切ない。
でも、これだけは言える。
他人に自分の「優しさ」を押し付ける傲慢な態度は持ち合わせていないことを。
そもそも自分の「優しさ」なんて理解されたことがないんだが。

2020/05/16

お笑い芸人の失言に思うコト

ナインティナインの岡村隆史の発言に対し、自分自身として、許す許さないの感情はない。
あるのは、「この人、風俗という仕事を少なくともリスペクトはしていない」という感情だ。

コロナによって困窮に追い込まれる人は、当然いる。
どうにもならず、屈辱的な気持ちを抱えながら風俗の道に入る人も当然いるだろう。
反対に、特に抵抗もなく、風俗嬢としての仕事をエンジョイしようとする人もいる。
物事に100対0は存在しない。
100の中で、必ず1はあるし、1対99になることも早々ない。
そのことを踏まえた上で考えると、自分は風俗、AV女優などの仕事をリスペクトしている。
初対面で、体をすべて委ねる、覚悟がなければ務まらない。
性行為が好きだから、なんて単純なモノでは、絶対に続かない仕事である。
まして、コロナで生活が苦しく、仕方なく風俗の道を選んだのかもしれないと考えたら、少し苦しく感じる。

だから、手ぐすねを引いて待つようなニュアンスに対し、これはアウトだなと感じた。
おそらく、風俗嬢は本当にすごい、自分にはできないというリスペクトが岡村隆史に感じられればここまでにはなってない。
少なくとも、過去に岡村隆史がそのような発言をしたと紹介する人はいなかったと思う。
仮にいたとしても、その動きが広まっていないことを意味する。
ここまでの大騒動になったのは当然であり、一切擁護できない。
自分自身、風俗というか、性に関する産業はあって当然だと思っている。
それは搾取どうこうを認めるわけではない。
どの国でもこの手の産業はあるし、色々な許可のやり方や管理の仕方で成り立っている。
日本という国はパチンコパチスロもそうだが、本当に曖昧なシステムが好きである。
パチンコパチスロはギャンブルではなく遊戯、ソープは売春ではなく自由恋愛。
色々なものを曖昧にし、警察などの匙加減1つで管理してきた。
この問題に対し、性風俗は是か非かという、アホらしい話になっている。
やるならきっちり管理すればいいし、労働者として他の職業同様に保護すればいい。

5月14日深夜の放送で、ナインティナインのオールナイトニッポンが正式に復活した。
ハガキ職人だけでなく、有名人などもその復活に歓喜し、良かったと言っている。
なぜ良かったの?芸人として致命的な失言をしてるのに?
ナイナイのANN復活のために、単に利用されたのか、風俗が。
雨降って地固まるとはこのことだね!とか、言ってる場合か。
知り合いも良かった良かったと、ほぼみんながこの復活を喜んでいる。
別に何をどう思うと人の勝手なんだから、別に喜ぶ人は喜べばいい。
ただ、個人的に思ったのは、「うわぁ気持ち悪い」ということ。
自分は不潔な人間だと思っていたが、潔癖だったのかもしれない。
自分の性癖なんか人に言えたもんじゃないが、自分は潔癖だったんだ。

世間は、岡村隆史を本当に許したのだろうか。
羊水発言で痛い目を見た倖田來未より、個人的には同レベルか、それ以下だと思っている。
羊水発言により、角銅さんというディレクターが降格人事の憂き目に遭った。
その角銅さんは数年後にこの世を去っている。
もちろんこの件とは関係ないが、しなくてもいい苦労をしてしまったと思う。
倖田來未の時と同じく、チーフディレクター以下、アシスタントからやり直せばいい。
そうじゃないと、羊水発言によってADに落とされた角銅さんが可哀そうだ。
作家から何から何まで、すべてを一掃して復活するなら、それでいいと思う。
そこまでして復活したいのなら相当な覚悟なんだなと感じる。
結局体制は変わらず、なんでこんなことになったのかも分からず、復活する。
それにハガキ職人だけでなく、有名人まで喜ぶ姿、醜さすら感じる。

岡村隆史が精神的な病で休養し、それから復活した時の放送をなんとなく覚えている。
戻ってきて本当によかったねという高揚感が、ちょくちょくしか聞かない自分にもあった。
最初の数週はそんな感じだったが、いつからか通常営業になっていった。
おそらく今回もその流れになるだろう。
岡村隆史はなぜ自分の発言が、芸人として致命的な失言であったのか、理解しているのだろうか。
理解せぬまま、また通常営業になった時、おそらくまた同じことをやるだろう。
今回、復活に喜んでいる人は、もう1回やらかしても擁護するだろうか。

うつ病を患ったのだから、これ以上の糾弾は岡村隆史を追い込むだけだ、その意見はもっともだ。
それはそれで、うつ病になった人たちをバカにしてないだろうかとも感じる。
あの人は元うつ病患者だから、強く言わないでおこうねということか。
会社の上司や部下が、それを盾に仕事の責任を回避しようとしたら、あなたは許せるだろうか。
許せる人だけが、これ以上の糾弾はどうこうと言えばいいと思う。
許せる人が大多数を占める社会であれば、自粛警察なんぞあちらこちらに生まれない。
コロナ患者をつるし上げて個人情報を晒そうだなんて思わないだろう。

50歳前後の人間の考え、性格なんて変わるはずがない。
逆に芸人は、歪んだコンプレックスをパワーに笑いをとればいい。
個人的には、オンラインサロンでも作って、その中で自由にやればそれでいいと思っている。
会員限定の、みんながカネを払った中で、好き勝手発言すればいい。
2度目の失言で芸人生命を絶たれる、それだけは絶対にあってはならない。
これだけは絶対にダメだという時局が読めないのなら、オンラインサロンに潜るしかない。
そして、復活に喜ぶ人は、オンラインサロンが開設されれば会員になってもらいたい。
テレビラジオに固執する時代ではない。
メディアは自分で選び、自分で咀嚼し、取り入れたいものだけ取り入れる、そんな時代を迎えた。
ラジオに固執することは何を意味するのか、多くの人が理解すべき時が来たのではないか。

2019/06/22

好きなものと人生とリンクさせてはいけない

自分は、とことん好きになったものが嫌いになることが全くない。
とことん好きになる過程で、好きも嫌いも色々と吸収するからかもしれない。
抵抗を感じ、遠ざけてたものに時間をかけてたどり着くと、嫌いになりようがない。
例えばアイドル、当初は大嫌いだったが、理解できるところまでにはなった。
それは、アイドルの存在自体毛嫌いしてたのに、誤解が解けたのが大きい。
誰もがぶりっ子をするわけではなく、健気なアイドルもそれなりにいる。
スクールカースト上位の女が、下位だった男たちを手玉にとるケースも多々あるが。
いずれにしても、アイドルへのネガティブな感情は当初はあったが、今はもうない。

好きなものが多く、場合によってはすべての熱量を特定のものに注ぎ込む。
Perfumeばかり情報を入れたり、水曜どうでしょうばかり見てたりした時期もある。
欅坂46や日向坂46ばかり動画を漁って、寝落ちまでSHOWROOM配信のアーカイブを見ていた。
好きになり、とにかく情報を吸収したいモードに入ると、もう止められない。
ただ、いつまでもそんなものは続くわけもなく、時期が来ると途端に冷めてしまう。
正確に言えば、あらかた吸収し過ぎて、干さないといけない時期だ。
じゃあそれらのものが嫌いになったかと言えば別に嫌いになってはいない。
距離を置いて様子見はしており、きっかけ1つでモードにすぐ入る。
それが性に合っており、好きな感情を腐らして憎むようなことにはならない。

何かを愛するということは、下手をすれば憎しみに変わるかもしれない。
愛憎劇なんてのもあるが、何事も過ぎれば毒である。
何かを愛するがあまり、何かを憎むようになる。
何かを憎むことで、愛するものの価値を高めようとする。
憎むものが多い人は、愛するものが多いか、愛するものへの熱量が高すぎるか。
これらの人に、道理や理屈なんか通用しない。
単にその人物の思い入れであり、完全に否定できない。
私がそう思うんだ、そんなことを言われたら何も言い返せないし、不毛である。
憎むものが多い人は基本的に距離を置く、それがいい。

人間、憎みすぎるとどうなるか。
依存体質になり、精神的な自立ができない人間になると思っている。
結局、愛することも憎むことも相手がなければ成立しない。
愛するもの、憎むものの行動ばかりが目に行き、それに縛られる。
だから、何かを憎みすぎる人は、メンヘラだったり、精神的に不安定、自信がない人が多い。
自信がある人は過度に憎むことなんぞしないだろう。
どこかに不安があるから何かを憎み、原動力にするわけで。
適度に憎むこともいいとは思う。
しかし、病的なものでは自分を殺すだけ、単なるメンヘラになり下がるだけだ。

好きなものがある人は、人生とリンクさせてはいけない。
人生とリンクさせると、それがアイデンティティーになり、愛するか憎むか、どちらかになる。
好きなもの、趣味というのはカンフル剤、栄養剤、サプリの類。
愛憎が激しい人の好きなもの、趣味は覚醒剤、麻薬など身を滅ぼすような性質になってしまっている。
嫌いになりそう、飽きたならまずは距離を置く。
自分は嫌いなものこそ多いが、何かを憎むという感情はほとんどない。
もちろん愛することもほとんどない。
物事に対して斜めに構え、好き嫌いは多い分、案外ライトだと思う。